Consultant
コンサルタント
岩本昌吾
Iwamoto Shougo
お客様に笑顔になって頂ける住宅を提供できるように、
日々精進しております。
- 誕生日
- 1960年5月7日
- 出身地
- 静岡県静岡市
- 好きな食べ物
- 寿司・メロン
- 好きな動物
- ねこ
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岩本昌吾3歳
私は、昭和35年5月に静岡県静岡市に生まれました。父の転勤により幼稚園から小学校5年生までは 磐田市に居り、その後はまた静岡市に戻って来ています。 私が、中学校1年生の時に父が海辺の近くに3LDKの平屋を建てました。モデルハウスに家族で行ってその場で契約したのを覚えております。 その時の営業の方の対応を見ていて家を売る仕事もいいなと 子供心に思った記憶があります。
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出身地である静岡県の風景
その家には、高校3年まで住んでいました。4人家族で狭い間取りでしたが不自由はありませんでした。 あの当時(昭和48年頃)は、まだ静岡市も井戸を掘っても良かったらしく、しばらく井戸水を飲んでいました。 たしか私が高校3年頃に水質に問題が起きて水道水に変えたことを思い出します。大学入学を機に家を離れ、神奈川県藤沢市に住みました。 古い木造のアパートで6帖一間にキッチン付き で、浴室無また共同トイレでした。2階に有る部屋で、なぜか部屋の一部が外に飛び出ていて、床板の節が抜けていて、地面が見えました。 冬は寒く部屋の中が氷点下になり、冬はいつもコタツで寝ていたこと を懐かしく思い出します。
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岩本昌吾 高校生の頃
その後、就職して東京勤務となり名古屋にも転勤で行きました。名古屋で住んでいた賃貸マンションの1階は、結露が酷かったのを覚えています。 そして約5年後、転勤で東京に一度戻り1993年(平成5年)の1月、結婚を機に札幌に移住しました。「仕事は行けばなんとかなるだろう」と安易な気持ちで札幌に来ましたが、 意外と思うように就職先が見つからず苦労しました。最後に面接を受けた会社が不動産のマンション専門の仲介業社で、その時の札幌支店長が「岩本さんなら出来ると思うよ」と言ってくださったので、 なにもわからない状態でしたが思い切って飛び込みました。それが不動産業との出会いです。その会社では約5年近く働きましたが、バブル崩壊のおありを受けて札幌支店を閉店することとなり、やめることになりました。 その後、3年程別の業種の仕事をしましたが、結局不動産に戻りまして、現在に至ります。
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岩本昌吾 現在
札幌に住んで、家のつくりがとても頑丈にできていることを感じております。やはり雪が積もるので その分、本州の家とは大違いです。耐震や結露なども対策がされているのでとても過ごしやすいです。 特に驚いたのは、どの家に行っても、コタツが無いことです。冬の間は部屋を一日中温めているためコタツは要らないことがわかりました。 現在、縁が有って、オネット株式会社にお世話になっております。 いままで住んできた住宅と比べて北海道の家の良さを知りましたので、これから家を持ちたいと思っている方に少しでもお役に立てたらと思い、お客様に笑顔になって頂ける住宅を提供できるように、日々精進しております。